母の直感が世界を変える  渡邉麻里子さん

わたなべ・まりこ(パン屋タルマーリー女将 )
自然育児友の会会報 2012年なつ号より



2011年3月11日。
千葉県いすみ市の「パン屋タルマーリー」では、オープンして4年目という史上で、最も大量のパンを製造していた。既存の取引先に加え、大手スーパーから催事用の注文も入っていたのだ。

2008年、夫婦で始めた小さなパン屋。でも、私達には大きな夢があった。
“農”をベースに、人・モノ・お金が循環し、環境と社会が良くなっていく…そういう地域モデルを作るために、パンはひとつの“手段”と考えていた。だから、町づくり活動にも積極的だった。

まず「ナチュラルライフマーケット」というイベントを立ち上げた。“房総のつくり手たちのこだわり市”というコンセプトで、厳しい出店基準を設け、この市を通して「地域を良くする生産のあり方」を提示できないか…と試みた。 更に、地域通貨も作ってみた。

そして最終的には、地域資源を活かした起業家が集まってくることを願って「起業大学」という講座も企画した。こうした活動が功を奏してか、東京から力強い人々が近所に移ってきた。同じ子育て世代、夢を熱く語り合えるかけがえのない仲間となった。

しかし、町づくりに力を入れる一方で、やはり本業を拡大していこう!と、震災前にパン職人2名を雇い始めた。こうして、まさにこれから!と勢いに乗っていた3.11、あの大きな揺れが来た。

私はとにかく地震が怖かった。
けれど夫は数日後から「原発がやばい。母子だけでも今すぐ逃げた方がいい!」と言い始めた。
私にはピンとこなかった。むしろ、パン屋を放って逃げるなんて無責任と思った。それに、震災前日に生まれた兄の双子も気になった。

「私達だけ逃げればいいの?」そこから夫婦喧嘩が始まった。
結局、しばらく屋内退避をすることにした。ひたすら家に閉じこもってTVを見て過ごした。
2週間後、久しぶりにネットを見て、TV情報との違いに愕然とした。  
更に、チェルノブイリで何が起こったかも調べた。

夫は若い頃ハンガリーで暮らし、友人が白血病で亡くなった経験があるので、チェルノブイリの教訓を生身で感じていた。彼が抱いていた危機感を、この時やっと私も共有できた。これは本当にやばい。今すぐ避難しよう、と心を決めた。



そして4月1日。5歳娘・モコと1歳息子・ヒカルを抱えて、友人を頼って熊本県水俣へ。
私の仕事はすべて夫に渡し、数か月の一時的な母子避難というつもりだった。

「この危機感を共有して、多くの子ども達に避難してほしい」と願い、ブログで母子避難したことをありのままに発信した。

しかしこれに対して、「津波や地震の被害を受けていないあなたが、なぜ逃げるのか?」という批判を沢山もらった。それで私は悟った。「もう、自分の子どもを自分で守るのが精いっぱいの世の中になってしまったんだ…」と。

店を移転するか、迷っていた。そんな折、千葉の物件の大家に立ち退きを言い渡された。これは「西へ動け」という天からの合図だと思った。更に同じ頃、岡山の後輩からメールをもらった。結局、こうした自然な流れにのって、岡山への移転を決めた。

「何故、岡山へ?」とよく聞かれる。勿論、いろいろ考えた結果ではあるのだが、一番大きな要因は「直感」だ。

私はもともと鈍感な方だったが、田舎で起業するという大きなチャレンジが、感覚を磨いてくれたように思う。


しかし、何より直感力を鍛えてくれたのは、二人の子ども達である。なるべく自然に添う育児を心がける中で、特に、ヒカルの自宅出産とアトピー、オムツなし育児から得た学びは大きい。

結局、出産も病気も“万が一のリスク”に集中するあまり、人間本来の自然な力を発揮する場を失っているように思う。

毎日おっぱいをあげていれば、体温計に頼らずとも、触るだけで具合がわかる。オムツに頼らず排泄のサインをキャッチできるようになれば、更にコミュニケーションが深くなる。そして、アトピーでも風邪でも、すぐに医療に頼ることなく、子どもに寄り添っていれば、自然治癒力を信じられるようになる。母親の感覚を磨いていれば、本当に危険な時は、きちんと判断できるようになると思うのだ。

子ども達がいたから、私はこうして岡山へ動いた。勿論それは、とても辛い出来事だった。東京の家族や千葉の仲間、そして夫婦で築き上げたパン屋…大切なモノを置いて、遠い未知なる土地へ…。あまりに突然で、自分の中で早急に人生をリセットしなければならず、毎日泣いて悩んで苦しかった。

しかし私たちは、土地の恵みを材料に、子どもに安心して食べさせられるモノを作ろう…とパン屋を営んできた。けれど、3.11を境に、世界はガラリと変わってしまった。もし数年後、我が子に健康被害が出たら…その可能性が少しでもあるなら、私は子どもを存分に土遊びさせられる場所に動きたいと思った。それが今までの、そしてこれからの自分の人生に、正直な道だった。

これからどうなっていくか、私たちはかなり悲観的だ。でも、だからこそ、より良いパンを作れる環境に移ろうと決めた。それで「良い水が湧く場所」をキーに土地を探し、岡山県真庭市勝山に辿り着いた。


勝山でパン屋を再開して半年経った今、移転して良かったと心から思っている。その苦労は並大抵ではなかったけど、毎日家族揃って暮らせることが、ただただ有難い。

震災前から、女性の感覚を大切に、パン屋を経営してきた。夫婦同等に話合いながら、家族の生活を第一に、格好つけずに身の丈で、なるべくお金を使わずに生きてきた。

しかし、3.11を経てこちらに暮らしてみると、自分がどんなに“常識”という呪縛に囚われていたか…と思い知る日々だ。「中国地方=過疎」という暗いイメージは覆された。

この溢れる自然と良質な水、人々の温かい心に抱かれ、なんて豊かな土地だろう…と実感する。私たちはまだまだ“東京”という経済にどっぷり依存していた…と気づかされる。

今こそすべてを根本から問い直し、直感を呼び覚まし、しっかり行動すること。それが3.11後の世界を変えていくために、急務だと思う。そして、それに一番気づいているのが、子育てを通して直感を磨いてきたお母さん達だ。

さあ、自信を持って、女性の感覚を信じて、できることから行動していきましょうね!


■渡邉 麻里子 プロフィール

「パン屋タルマーリー」女将。1978年東京生まれ。

子どもの頃から田舎暮らしに憧れ、環境問題に危機感を持つ。
東京農工大学農学部在学中、日本の農家や環境教育現場にて研修、米国とNZで援農を経験。
卒業後、有機農産物流通会社、農産加工業者にて、通販や広報を担当した後、パン屋タルマーリーを開業。

■パン屋タルマーリー
「パンを作れば作るほど、社会と環境が良くなっていく」経営が目標。自家製酵母のみを使用し、自然栽培素材と天然菌によるパンを製造。酒種、レーズン酵母、全粒粉酵母、サワー種、ビール酵母、ヨーグルト酵母という6種の酵母を使い分け、柔らかいパンからかたいパンまで、幅広い味と食感のパンを提供。
震災後、千葉県から岡山県勝山へ移転。江戸時代の美しい町並みに立つ、築百年以上の町屋を改装したパン屋には、カフェも併設。ホームページには、通販サイトもあり。

URL http://talmary.com/


〈営業時間〉 パン屋&イートインカフェ 10時~17時
〈定休日〉 月・火・水曜日
〈住所〉 〒717-0013 岡山県真庭市勝山195-3
Tel/Fax 0867-44-6822

店主・渡邉格(イタル)の著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)。