きっかけは何でもいい、まずは繫がること。~加藤万季さん

加藤万季
自然育児友の会会報 2012年あき号より

 13年前長女を出産した助産院で、まだ検診を受けている時に待合室に置いてあった会報を手にしたのが友の会と出会ったきっかけでした。私は始めての妊娠にどうしていいか判らず、取りあえず病院を探したけれど、当時住んでいた東京都品川区には婦人科はたくさんあるのにお産ができるところがなくて、仕方なく名の知れたマンモス大学病院の産科に検診に行きました。だけど、そこで受けた妊婦に対する機械的な扱いに出産がとても不安になり寂しさに襲われたのです。すると不思議なことに、突然友人が海外出張の帰りに家に来て、出張中にこれは私に絶対渡さなくてはいけないと急に思ったそうで「宇宙の神秘  誕生の化学」(天外伺朗著)という本を渡されました。そこにはウガンダのお母さんたちは裸の赤ちゃんをスリングに入れてずっと抱っこしていて、赤ちゃんがオシッコしたくなると自然に判って、させてあげること(まったくもってオムツなし育児ですね)、それには自然に産むことの大切さ、生まれたばかりの赤ちゃんはお母さんから離れてはいけないこと、いきなり明るいところに出してはいけないなど、まったく聞いた事がないことが書いてあったのです。その本にものすごい衝撃を受けて、どうにかしてこのウガンダの母親たちのようなお産ができないかと思いました。

 そして当時会社で使い始めたインターネットで自然出産と検索をかけたら、音楽家の高橋全さんが、奥様が世田谷の助産院で水中出産をされたことを、ご自分のブログで出産記として掲載されており、そのお産の素晴らしさからメッセージを送り、その助産院を紹介していただいたのでした(その高椅さんは友人で写真家のEさんの個展で彼の奥様が自宅のお風呂で、一人でお子さんを出産した話に刺激され、自然出産にするべくその助産院を選ばれたようです。後に私はそのEさんファミリーと家族ぐるみでおつきあいするようになるのですが、シンクロニシティとしかいいようのないすごい繫がり方です)。「311で意識が変わった」という方に最近よくお会いするのですが、私の中で一番意識が変わったのは、この自然出産と出会った時でした。その助産院には待合室にたくさんの書籍やミニコミ誌が置いてあって、好きなように借りることができました。どうして赤ちゃんには普通の洗濯洗剤を使ってはいけないのだろう?と思っていたところに、合成洗剤は赤ちゃんだけではなく、すべての生物にとって危険だということを警告した冊子をそこで読み、初めて知ったのはその待合室でした。自分ではそれまで極普通に健康志向だと思っていたのに、赤ちゃんから世の中を眺めてみると、使ってはいけないもの、食べてはいけないもの、家の中には置いておきたくないもの、そんなものばかりに囲まれていたことに、妊娠、出産、子育てを通じて、どんどん知るようになりました。予防接種で重度の障害が出ることもあると、待合室にあった「まちがいだらけの予防接種」(藤井俊介著)で知ったし、母乳育児が楽なことも同じく「もっと自由に母乳育児」(山西みな子著)で知りました。


イラスト・大野まみ

  私にとって、最初の子を助産院で産んだことは、人生を根本からすべて変えてくれました。だから、出会う人にはいろいろな意味で「いいお産は人生を変える」と言い続けています。二人目は当時のパートナーと自宅で2人だけで出産し、3人目は今の夫と自宅で、近所の助産師さんに来ていただいて出産しました。3人目は初期の頃に前置胎盤だと言われ、病院では「できることは何もない、安静に過ごすように」としか言われなかったのが、友人の助産師に相談したところ「身体が陰性に傾いていると胎児は子宮口付近に着床しやすいの、陰性の食べ物を徹底的に排除して、一切の糖類をとらない事、干した果物もダメ。とにかく食べ物に気をつけて、よく歩く、身体を温める。必ず赤ちゃんは正常な位置に動くから」と励まされ。徹底的に食事を改めたら、8ヶ月頃には正常位置になってくれました。2人目を生んでからだいぶ年月がたっており、食の意識もゆるんでしまい、暑い夏に毎日のようにビールを飲んでいたのが原因だったようです。

  3人産んで思うのは、やはり妊娠前からの身体が、生まれてきた子どもの体質に大きく影響するということ。長女は、今思えば何も考えていなかった私の食生活をそのまま受けて、2歳過ぎまでアトピー性皮膚炎で、今も季節性のアレルギー性鼻炎や気管支炎になります。その長女のために生後8ヶ月から徹底して始めたマクロビオティックで、私も家族も体質が変わり、そうした頃に妊娠、産前産後も徹底したマクロビで育った次女は、まったく病気にかかりませんし、たまにちょっと具合が悪いと言っても、半日も寝ていると治ってしまうのです。心配していた末っ子も、前置胎盤からは徹底したマクロビを貫き、産後も食養生を徹底したおかげか、すごく元気な子です。我が家は、今ではゆるやかなマクロビでたまには頂き物の甘いお菓子も食べますし、外食すれば少量のお肉も食べます。でも基本は無農薬の分づき米と季節のお野菜です。そんな我が家も昨年の原発事故以来、1年以上、関東・東北のお野菜は食べないようにしていました。四国や岡山から親戚や友人に頼って、お野菜を送ってもらっていたのです。でも、やっぱり地元で有機や無農薬で頑張っている農家さんの朝採りのお野菜が食べたくて、放射能の検査もしてくれるようになったので、近所の朝市に戻りました。お米だけはたくさん食べるので、滋賀や宮崎の無農薬米を、近所の良心的なお米屋さんから購入しています。

  原発事故以降、子どもたちへの対策をなかなかしてくれない自治体に対して、このままでは子どもたちはみんな病気になってしまうのではないかと心から心配して、市議会に請願を出し、勉強会や講演会を行なってみんなで意識を高くしていこうと活動してきました。でもそんな集まりに来てくださった帰りに「今日はこれから、子どもとマックでお昼を食べる約束です」と言われると、つい「危険なのは放射能だけではないのよ」と言いたくなってしまいます……。でもそこをぐっと堪えて、「知っている?マックのポテトは広島の原爆で使ったプルトニウムを製造していた工場跡地の農場で作っているのよ。でも年に数回たまに行くくらいなら気にしなくてもいいかしらね」と言うと、3歳のお子さんを連れたその若いお母さんはうつむいてしまい、「たまにじゃなくて毎週かも……」と小さな声で呟いていました。そうかと思えば、「震災前は外食ばかりしていた、食べ物に気を使ったことはなかったの。家の子は原因不明で年に3回くらい吐きまくって入院していた。でもあれ以来恐くて一切の外食ができなくなって、食べ物に気をつけるようにしたら、あれから娘は入院することがなくなった。我が家は原発事故前より後のほうがみんな健康になっちゃった」などと言う方もいます。きっかけはなんでもいいと思います。私だって最初からいろいろなことを気にしていた訳ではなくて、子どもを育てていく課程で学んだことばかりだから。でも、この放射能汚染されてしまった世界で、何も気にしないでいたら、子どもたちに健康な未来を渡してあげることは、かなり難しいのではないかとも憂えています。一人でも多くの方と繫がり、戒めるのではなく伝えていくことができたら、ずっとそう思っています。出会いは財産です。今、この会報を読んでくださって、何かひとつでもあなたが行動を起こしたら、それがまた次の出会いに繫がります。そうして繫がり続けていくことが、世界を変えるエネルギーになると信じています。

■加藤万季 プロフィール

1972年生まれ東京芸術大学大学院・美術研究科修了。デザイン業の傍らヒーリングジュエリーを製作する。13歳9歳2歳の3人の娘の母。
2010〜11年自然育児友の会、越谷お茶会を担当。原発事故後、友の会のメンバーと豊島区での野呂美加さんの講演会に集まった越谷のメンバーで「5年後10年後子どもたちが健やかに育つ会・越谷」をたちあげ、2011年6月市議会に「東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う越谷市の子どもへの安全対策について」という請願書を提出。圧倒的多数で採択されたことを受け、市長をはじめとする市の執行部と会談を持ち、放射能への対策を提言する。現在越谷市ではその提言を元に給食の放射能検査、子どもの過ごす場所の詳細な汚染マップ作成、通学路や学校屋上の計測除染など対応が進んでいる。
2012年5月埼玉県で活動する団体をまとめる「子どもたちを放射能から守る埼玉ネットワーク」発足。現在48団体が登録している。
2012年12月「いのちと暮らしを考える会」発足のため準備に追われている。