45歳。がんばらないお産で学んだこと~藤村ユミエ

藤村ユミエ
自然育児友の会会報 2012年ふゆ号より

 2012年1月、まさかの4人目ちゃんが生まれた。雪にすっぽり閉ざされた小さな我が家で。45歳の活力のない私の身体をいたわるように慎重にそしてゆっくりと。最後は「待ってました!」とばかり、ロケットみたいに勢いよくスッポーンと飛び出した(見事な生まれっぷりだった)。家族みんなで迎えた小さな命。私たちは7年ぶりに羊水の匂いに包まれた。お産の時にしか嗅ぐことのできない懐かしい匂い。4度目の、命の誕生の瞬間の匂い。

 陣痛が始まってからはこれまでのお産と同じ。身体はちゃんと記憶していたのか、哺乳類の雌として再びスウィッチが入り、自ずとはたらいていくのを感じた。私はそれに圧倒されまかせるだけだった。すっかりくたびれてたおっぱいもちゃんと張り、お乳が出てきて感動した。身体ってすごい。後になって「若さより経験が勝ったわ」なんていって周りを笑わせていたけれど振り返ってみて、体力筋力無し、運動せず食事もいい加減、いろいろあってストレスいっぱいな不良妊婦で、さぞかし居心地の悪い子宮だっただろうに。安産に向けてなに一つ頑張らなかった(頑張れなかった)のに、不思議なことにちゃんとお産できたのだった。そんな頑張らなかったお産だったからこそなのか、益々私は「赤ん坊は自分の力で生まれてくる」ということを思う。プライベート出産のことを「自力出産」ともいうけれど、「自力」って母親が産むってことじゃなくて、「赤ん坊が自力で生まれてくる」ってことなんじゃないか。私ができることはただ、赤ん坊が自力で生まれてくるのを邪魔しないってこと。押し出そうとしたりいきんだりしない。身体の中で起こっていることに耳を澄まして、それに従うこと。ひたすら待つ。それだけ。さすがに一回目のお産となった長男の時はへたくそで、少々力が入りすぎてたけれど、生まれてきた彼は穏やかでとてもすっきりした顔をしてたので、この子もなにも恐れずに、自分のペース、自分のリズムで生まれてこれたのかなと思いたい。



イラスト・大野まみ

 というわけで、今頃になって再びお産して赤ん坊と暮らしているのだけど、この子のおかげで上の3人の息子たちとの関係で忘れがちな大切なこと、あらためて思い巡らすことがある。特に思春期という新しいステージが始まった長男との関わりの中でこれから起こるであろう、いろいろな心配事やらすれ違いやら、親の思う通りになってくれないことや、なんやかんや。戸惑い悩むこともあるだろう。でもこの子らもしっかりと自分の力で生まれてこれたんだもの、これからも自分で道を切り開き歩いてゆく力も持っているのだろう。生まれてくるときだけじゃない。どの子も自分の力でおっぱいも吸ったし寝返りもできた。教えなくても手を貸さなくても自分で立った。転んで泣いて、頭ぶつけてまた泣いて、何度も何度も失敗して、歩くようになった。遅かれ早かれどんなかたちであれ、みんなその子にとって一番いい時に生まれ、それぞれの持つはやさでそれぞれのかたちで変化(成長)してゆく。たとえなにかハンデイキャップがあったとしても。子どもって本来生に対して100%前向きな生き物なのだ(大人はそれを邪魔しないこと)。かつてホームスクーリングをしていた暮らしの中でも、子どもたちは限りなくそんな力を発揮し、驚かせてくれた。そのことを信じてこれからの成長を見守っていきたいな。気持ちがぶれそうになった時にも4人それぞれの子との原点……。かけがえのないあのお産の体験を思い出せば、なにがあっても子どもらのこと信頼することができるかも知れない。いや、信頼しなくちゃね。

 思いがけずに4児の母となった私だが、これは「お産したり子どもの世話したりする中で、人生修業をしなはれ!」と神様?天?が贈ってくれた、自分の人生のテーマかなとも思う。特別な才能もなく器も小さいダメ母ちゃんだけど、大切な命をお預かりして巣立つまでお世話すること(勝手に育ってくれてるけど)、自然との調和がとれる平和な大人になるようお手伝いすることが私の使命なのかな。誰かが「田植えや稲刈をすることも、デモに行くのと同じように一つの反戦運動や反原発運動である」といってたけれど、だったら私たちお母ちゃんがしているお産や子育てもそうなんじゃない?なんて思ったり。こんな時代のこの国のこんな家族の、こんな母ちゃんのところに、わざわざ生まれてきてくれた命。「きっと流れてしまうだろう」そんなふうに思っていたのに、臨月になる頃には「なんとしてでも生まれるよ」と、お腹の中から強い意志を感じた。もっと平和な時代の平和な国もある。もっと仲良し夫婦も、もっと若くて元気なお母ちゃんも、いくらでもいるのにわざわざうちを選んで来てくれた。きっとなにもかも承知でここに来てくれたこの命。ありがたいなあ。命の巡りあわせの不思議を思わないではいられない。たった今、初めてこの世界にやってきたみたいなピカピカな顔して今日も目を覚まし、「生きてるってそれだけでOK!」そんなこと身体いっぱいで表現してくれる。笑ってても泣いてても、眠っていても、幸せの種をばら播いている。家族の中で一番小さなこの人が一番パワフルに生きて、一番大切なことを教えてくれる。癒してくれる。ああ、そうか。だからこそ今、この国に生まれて来たい命が次々と産声を上げているのかも(私の周りは妊娠出産ラッシュなのだ)。生まれて来たい命がある限りこの国の、この地球の未来は明るいと思いたい。生まれてきてくれて、ほんとうにありがとう。

■藤村ユミエ プロフィール

1966年に山口県で生まれ18歳から京都で暮らす。0歳児の女の子、7、10、13歳の男の子を自宅で水中出産する。京都で夫と共に穀物菜食の店「はるや」を始めるが、山奥に移ってからは半農半料理人になり、家族が食べる分の米や野菜を作りながら、ビーガンフードの出張販売やケイタリングをおこなっている。息子たちがホームスクーリング時代は子連れバックパッカーを楽しむ。家族5人でネパールを40日間旅したときの日記とホームスクーリングの生活をもとに長男と共著で「はるやのネパール旅行記」を自費出版する。食べ物もエネルギーもできるだけ手作りして暮らしたいという夢の実現に向けて場所づくりが始まり、来年は自宅をセミセルフビルドする予定。親子合宿やリトリートができるようなゲストハウスも計画中。家族でバンドをしたり、毎日着物を着たり、森を歩き写真を撮ったり、お金をかけずに山奥暮らしを楽しんでいる。

出店のお知らせや山奥での暮らしぶり、ホームスクーリング、プライベート出産についてなどはブログへどうぞ。→「はるや日記」