自分も生まれる旅 vol.9 8秒おっぱい

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vol.9

8秒おっぱい

  [文・写真] 有砂山



もう、お乳のでない私のおっぱいが、それでも、まだ、
3歳になったばかりの息子の、お守りだったころの話です。



ひさしぶりに祖父母の家に遊びにきたというのに、
息子はいつものように「おっぱい、おっぱい」と言います。
それで結局、私もいつものように「8秒おっぱい」をすることにしました。

「8秒おっぱい」とは。

息子の手を私のおっぱいにあてながら、

いちい、にいい、さああん、しいい、ごおお、ろおく、しいちい、はあちい、
はい、おしまい!

と、実際には、30秒ほどかけて八つ数え、
お名残惜しいときも、なんとなくさっぱり、さようならをする方法です。

そのようなわけで。
私のおっぱいに息子の手のひらをのせていたら、
そばにいた我が母クミコさんが
「いいなぁ、ばあばも触りたい」と言うのです。
ほかでもない母のお願いです。
でも。あまりに唐突です。

それで。
私は、反射的に「いやだ」と言いました。
でも。
その後、また反射的に「8秒おっぱいなら、いいですけど」
と小さく言いました。
すると。
母は照れくさそうに「じゃあ、ばあばも」と言って、
「8秒おっぱい」をしました。

どちらかというと、文字通り8秒です。



母となった娘のおっぱいに触れる母の話とは・・・。
なんとも不可解かもしれません。
けれど、私には、あまり不可解でもなかったり。

なぜ、祖母ミヨさんは、母クミコさんを産み、
その41日後に体を壊し、この世を去ったのか。
なぜ、母クミコさんは、
私を産んだ後、3日間もおっぱいがあげられず、
そして3ヶ月後にはおっぱいが止まってしまったのか。

「今さら、どうすることもできないのです。」
という悲しみは、
もうすっかり忘れてしまえばいいのに、
そう、思うようにいかない日もあります。
でも。
そのような悲しみがある場所にも空があって、
その空を見あげて、
その後、地上を見おろすように目を閉じると、
小さな石塔が見えることがあります。

祖母ミヨさんのお墓です。

どんな声だったの?

途切れてしまったこと。
途切れていないこと。

そのあいだで日々が続いていく不思議をとりとめもなく思ううち、
私は、娘にもう一度触れるために生まれてきたような、
自分が祖母ミヨさんの生まれ変わりにでもなったような。
そんな気分に救われる日もあるのでした。

反射的に母クミコさんに
「8秒おっぱい」をしてもらったのは、
そのような気分が私のどこかに残っていたためだったんでしょうか。



「8秒おっぱい」から数年後、
息子も小学一年生になった春のある日、
孫に会いにきてくれたクミコさんと別れるとき、
ふっと私はクミコさんに頬擦りしました。
そういうことを
照れることもなくしている自分に戸惑いながら。
私は。
おっぱい、おっぱい。
と、思いました。

このとき、
私の中に、祖母ミヨさんはいませんでした。




#連載vol.9 「8秒おっぱい」は、「自分も生まれる旅とノムラノピアノ」で朗読しました。


#お産の写真は、会報・お話会等でご覧いただけます。
有砂山 (ゆささん):

2009 年、助産院で子どもを産み、以来、産むこと・生まれることについて、私感を書きはじめる。
助産師さん、妊産婦さんの協力により、お産に立ち会う経験もする。
産むこと・生まれることの味わいが導いてくれるもろもろについて、その味わいに至るもろもろについて、
私感を言葉と写真で綴る試み「自分も生まれる旅」を行う。
NPO法人自然育児友の会会報に連載(ウェブ版https://shizen-ikuji.org/blog/tabi/)。
2017年、作曲家野村誠との試み「自分も生まれる旅とノムラノピアノ」(於:カフェスロー)を行う。
東京藝術大学美術学部卒業。
著書「お産を楽しむ本 どこで産む人でも知っておきたい野性のみがき方」(共著、農文協)。

そもそも生まれるとか死ぬということは
あけっぴろげなものじゃなく、
それぞれの日常の中で、
その気配をしみじみと抱きしめるようなものだと
思うんですけれど、
でも、いつのまにか
生まれることは死ぬことよりも遠くなってしまったような。