自分も生まれる旅とノムラノピアノvol.2 #1 おーるこっつ うみ りく うみ りく そして

#2018 tabi _ piano

2018年12月14日の夜に、
私がことばにしなかったこと、
その断片についての
ふたつのメモ

#1

おーるこっつ うみ りく うみ りく そして


[ことば]  河野有砂    * 生まれたときの名前を筆名にすることにしました。(有砂山より)
[絵]  eiko



どうしてなのか、は、わからないけれど、
「自分も生まれる旅」というような気がした曲を
弾いてみようと思う。

と、野村さんが言いました。

チャールズ・アイヴズの "The Alcotts"
と、
野村さんが動物園のオットセイとつくった「オットセイ」

私は、あまり、多くの曲を知らない。
だから、どちらも、はじめて、聴く。

おーるこっつ。

という野村さんの声、
で。
all cots  
世界中のありったけの小さなベッド を、私は、思いました。

でも、
あとで知ったのですけれど、
ほんとうは、
all cots じゃなくて、Alcotts (オルコット家の人々)。

でも、この勘違いは、この夜にあっていた。

どっしりとした立派なベッドじゃなくて、
ささやかな日々のための、
折りたたみ式ベッド、ベビーベッド、ハンモックなどなど。

どこかの戦場、どこかの被災地、どこかの森、どこかの住宅街、どこかの庭先
などなどなど。

世界中のありったけの小さなベッド の運命。

この夜の、ノムラノピアノが教えてくれる、
チャールズ・アイヴズの、その感触は、
私たちの、ささやかな日々の行方とつながっている。
いまの all cots  のためにある、ような。

cot
英語の苦手な私がこのことばを覚えたのは、
図書館でふと見つけた3.11のためのアンソロジー
「それでも三月はまた」英語版(MARCH WAS MADE OF YARN )に収録された
いしいしんじさんの「ルル」。

こどもたちのための、ベッド。

そのまわりにいたのは、
犬だったけれど。

この夜は、野村誠のオットセイ。
all cotsに、なぜか、寄り添うようで。
ほっとしてしまう。

ささやかな日々のための、うみ りく  うみ りく
でも、3.11、3.11、3.11、、、
こどもたち、わたしたち、いきものたち

うまれる、うまれる、
それから、、、それから、、、

この夜、ミツロウを灯してよかった、と思う。
働き蜂が巣作りのために出したロウを80以上、
譜面を照らす、かすかなライトの光をほとんど忘れてしまうほど、
カフェスローの空間いっぱいに
灯してよかった、と思う。

燃やしても、燃やしても、
どこも、よどまない、炎。
淡いオレンジ色の、生きものの恩恵。

(このメモを書いている今日は、12/17。
昨日、12/16の夜、テレビのニュースで、
砂をかきながら、遺骨を探す、月命日の三陸の海岸を見ました。)

再生、ということ。

カフェスローも、もともとは、工場の廃屋。
高圧線も剥き出しだったところを
吉岡淳さんが再生したところ。
100坪ほどの巨大な平屋は、
ストローベイルの壁面のためなのか、
どこかの古代の洞窟にいるような。
ミツロウの光を灯す、こんな夜は、
とくにそんな気持ちになるけれど、
でも、
鉄製の波板と組み合わせたシンプルな窓から、
この夜の、武蔵野の空が見える。

ことばにすると、こんなふうに、
とても長くなるけれど、実際は、たぶん、ほんの数秒。
ごちゃまぜに、このような、いくつものいくつものことがこころに点滅して、
あとは、ただ私は、ぼうっと、
この夜のノムラノピアノを聴いていました。

遠くと近くがつながっていく。

野村さん、
もしかしたら、
この夜、
自分も生まれる旅をしていたのですか?

*

私のなかに浮かんだ3.11を知らずに
ゲストにお迎えした振付家 ・ダンサーの砂連尾 理さんが

3.11以降、ぼくは、
毎日寝るとき、死んで、起きあがるとき、生まれるような、気がする。
だから、ぼくは、それ以来、生まれるパフォーマンスをしている、と思っている。

と、
話してくださいました。

今日も、みなさんの息吹を感じて、
ぼくは動き、
ぼくも、ぼくの息吹をみなさんにお返しする。
そのようにして、
産み出していけたらなぁと思う。

そう言ったあと、
砂連尾さんが、ふうわりふうわり、
カフェのなかを歩きはじめる。

*

フツーのピアノじゃないから、
そばにいてもいい?

と言って、
小学校三年生の息子は、
野村さんから、おゆるしをもらい、
それで、野村さんの真横に座っていたけれど、

ダンスがはじまると、
息子は、
私の膝の上に座ってきました。
ここは家じゃなくて、カフェ。
なのに。
抱っこ。
なのに。
ぜんぜん恥ずかしがらないし、
ぜんぜん恥ずかしくない。

というような。
いつもなら、気恥ずかしいはずのこと、が、
この夜に、あっていました。

*

野村さんの音と砂連尾さんの動きは
呼吸のようにつながっている。
いえ、呼吸のように、ではなく、呼吸している。

なんとなく。
赤ん坊のころの息子を
はじめて水に浮かべたときのように、
砂連尾さんのほうに向かって、
息子のからだを浮かせてみる。

すると。
息子は、
すうっと私から離れて、
砂連尾さんの動きをなぞるように、
ゆっくりゆっくり、
いっしょにダンスをはじめました。

ときどき、照れ臭そうに笑って
こっちをみている。

動くひと じっとしているひと   
いろいろに
陰陽の図のようになって。
なんというのか、
砂連尾さんのはじめた呼吸によって、
この夜、カフェスローにいたひとたちが、
ひとつのふくらんでいく胎内の、一部分になったような。

*

砂連尾さんの記した、ダンスについてのことばのなかに、

呼吸すること、
対話すること、
と、
ありました。

読んでいたはずなのに、すっかり忘れて、
「呼吸している」
と、さっき、砂連尾さんについて書いてしまいました。

でも、そのままにしておこう、と思います。
やはり、呼吸だったので。

私が、12/14の夜に覚えていたのは、

「フィクションで生きる
リアルは時に嘘をつく」

という砂連尾さんのことば。

私たちが、いつも使っていることばも、
からだやこころで感じたことをことばに置き換える時点で、
もしかしたら、すでにフィクションなのかもしれません。

たとえば、
あるものごとについて、
ほんの数秒前の私が思っていたことについても、
今の私が思っていることについても、
その時々の、その感じを見失わないように、
一緒に一度に残そうとすると、

画家アントニオ・ロペス・ガルシアが
ビクトル・エリセの『マルメロの陽光』のなかで、
地下の倉庫にしまってしまう絵のように、
いつまでも、描き直し(書き直し)、
それで途方に暮れて、そのままになってしまうことがあります。

それでも、
日々の気配の断片を
私は、このように、
たとえば、メモとして、
ときどき、残してみたくなります。

それでいて、
この12/14の夜のように、
なにかが生まれて、そして、あっというまにどこかへ行ってしまうことを、
愛おしく、思う。

でも、それも。

どうしてなのか、は、わからないこと。




後編(第二部についてのメモ)→  #2  もしかしたら90億光年離れた星より遠いところ






あの夜、
いらしてくださって、
ささえてくださって、
見守ってくださって、
ありがとうございます。
深謝を込めて。

Special thanks to:

アマネさん
ユミコさん
ミチコさん
サトコさん
 
小野寺玲子さん

小俣出美さん

永鼓さん

まんまる助産院
依田鍼灸院

カフェスロー

砂連尾 理さん

野村 誠さん


* 野村誠さんが、この試みについて「野村誠の作曲日記」に綴ってくださってます。
  http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20181214

* 試みへの感想より(敬省略)


ピアノと写真と生まれる 
ということ以外、なにも知らず、来てみました。
音の中で、自分の出産した時のことを、
言葉の中で、その中の痛みや想いや祈りのような願いを、寄り添ってもらっていた人のことを思い出しました。
炎と音と言葉と写真と動きのひとつひとつと。よかったです。
(pono)

今夜、私も生まれました。
(まりこ)

海の中を漂うような思いがしました。
(K.K.)

心あったまる、心地よい時でした。
(なな)

まったりと不思議な空間、音、言葉の数々。
有砂さんの言葉は、なにか心にはっとするものがあります。
野村さんのピアノは激しいのになぜか落ちつく(オットセイ、大好きです)。
砂連尾さんのダンス、娘が1才くらいの頃に踊っていたそれに似ていて、なぜか懐かしかったです。
(にゃふ)

自然な呼吸のようで、罪悪感もなく、
生まれるために死があるんやと。
毎日死んで毎日生まれたい。
(Ye)

空間も時間も、よかった。
有砂さんのお話、もっと聞きたいです。
(MOTOKO)


有砂さんの産み出す独特の景色と野村さんの奏でる音、音楽が、
不思議な… というのか、
どんどんひきこまれる世界が、ここちよかったです。
自分のお産、かかわらせていただいているお産の景色を思い出すような…
砂連尾さんのダンスも、とてもここちよかったです。

ここちよさが、なんともいえない感じです。
(I.N.)


プログラム

産むこと・生まれることをそれぞれの心と体で感じる試み
「自分も生まれる旅とノムラノピアノ」vol.2

写真・ことば:有砂山
ピアノ   :野村 誠

ゲスト   :砂連尾 理さん(振付家・ダンサー)https://www.osamujareo.com

2018.12.14.
@カフェスロー(東京 国分寺)

主催:スロースクール夜間部
協力:NPO法人自然育児友の会
 

□ 第1部
・トーク

・朗読
「産むための音」
(連載「自分も生まれる旅」vol.7より)

・ピアノ
 チャールズ・アイヴズ
  "The Alcotts"

 野村誠
 「オットセイ」

・即興のダンスとピアノ 
 「うまれる ひと おと」


□ 第2部
・冬至にむかう夜、一人の生きものとして感じる
 日本で1%未満の「生まれる時間」をめぐる
 写真・ことばによるスライド(約35分)と即興のピアノ

「自分も生まれる旅とノムラノピアノ」
 

河野 有砂 かわの ゆさ   * 生まれたときの名前を筆名にすることにしました。(有砂山より) 

2009年、助産院で子どもを産み、
以来、産むこと・生まれることについて、私感を書きはじめる。
助産師さん、妊産婦さんの協力により、お産の立ち会いも経験し、
産むこと・生まれることの味わいが導いてくれるもろもろについて、
私感を言葉と写真で綴る「自分も生まれる旅」を試みる。
NPO法人自然育児友の会会報に連載(ウェブ版https://shizen-ikuji.org/blog/tabi/)。
東京藝術大学美術学部卒業。
著書「お産を楽しむ本 どこで産む人でも知っておきたい野性のみがき方」(共著、農文協、筆名:上原有砂山)。

「生まれるとか死ぬということは、
それぞれの日常の中でしみじみと抱きしめるようなものだ、
と思うのですけれど、
いつのまにか、生まれることは死ぬことよりも遠くなってしまったような」
という思いの中、
2017年、作曲家野村誠との試み「自分も生まれる旅とノムラノピアノ」をはじめる。

Yusa Kawano graduated Tokyo University of the Arts. She gave birth to a child at midwifery home in 2009. Since then, she began to leave essays and photographs about various thoughts inspired by giving birth and being born. In 2014 a book Osan wo Tanoshimu Hon. Doko de Umu-hito demo Shitteokitai Yasei no Migakikata (A book for enjoying childbirth. How to feel the wild nature in yourself.), co-written by Mariko Shiino, was published by Nousangyosonbunkakyoukai (Rural Culture Association Japan). She has since been watching childbirth carefully and gently, with the help of midwives and pregnant women. Her essays and photographs, Jibun mo Umareru Tabi (Meditation on Childbirth and your Re-birth) is serialized in Shizen-ikuji Tomonokai Kaihou (Newsletter of NPO Natural Mothering ).
In one of them is written, “Someone is born. Someone dies. I’d like to embrace the moments quietly but deeply through my daily life. But, away they slip, day by day, day by day...  The moments someone is born might be felt farther than the moments someone dies as if in a remote world.”
Afraid the moments would melt in the air, she held a slide show in collaboration with piano improvisation by composer Makoto Nomura at Café Slow in 2017, Jibun mo Umareru Tabi + NOMURANOPIANO.

野村 誠 のむら まこと

作曲家/ピアニスト
京都大学で数学を、British Councilの招聘によりヨーク大学大学院で音楽を学ぶ。
音楽、演劇、舞踏、美術、文学などのジャンルを超え、
プロ/アマチュアを問わず、多様な人々と世界20カ国以上で作品を発表。
既存の枠にとらわれない作曲家として世界的に注目されている。
2006年度、NHK教育テレビ「あいのて」監修/出演。
2017年、英国ボーンマス交響楽団ゲスト作曲家。
2018年はマルセイユの演劇学校の講師、東華三院i-dArtの招聘で香港に3ヶ月滞在、
水戸芸術館はじめ国内外のアートプロジェクトに参加。
現在、日本センチュリー交響楽団コミュニティプログラムディレクター。
CD「ノムラノピアノ」(とんつーレコード)ほか。
著書「音楽の未来を作曲する」(晶文社)ほか多数。
第1回アサヒビール芸術賞
ホームページ www.makotonomura.net
ブログ「野村誠の作曲日記」http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/

Makoto Nomura is a world-renowned experimental composer/improviser. After studying mathematics at Kyoto University, he studied music at the graduate school of University of York with the invitation of British Council. He mainly plays the piano, melodica, rooftiles and gamelan. His composition includes Japanese traditional instruments, Javanese gamelan, western orchestra, rock band, children’s toy, body percussions, daily found objects, environmental sounds, and whatever. His work has been performed in more than 20 countries. In 2045/2007 he produced legendary TV programme of NHK, Ainote, which focused on experimental music for early-year children. Since 2014 he has been the director of community programme of Japan Century Symphony Orchestra. In 2017 he was a Guest Composer-in-Residence at Bournemouth Symphony Orchestra. In 2018, he served as a lecturer at a theater school in Marseille and also stayed in Hong Kong for 3 months with the invitation of i-dArt. And he has been participating in many art projects both domestic and overseas including performances at Art Tower Mito. Among his major awards are the 1st prize of the New Artists’ Audition 91 by Sony Music Entertainment, and the 1st Asahi Beer Art Award. Among his recent books is Ongaku no Mirai wo Sakkyoku Suru. Among his recent CD’s is NOMURANOPIANO.