自分も生まれる旅 vol.6 まっさら、となる

#2016なつ号No.275

vol.6

まっさら、となる

   [文・写真] 有砂山



へその緒でつながったまま、子どもを抱きしめると、サトコさんは、顔をくしゃくしゃにして泣いて、それから一瞬、パッと微笑んで、そしてまた、顔をくしゃくしゃにして、それから沈むように目を閉じて、生まれたばかりの子どもの頰を撫でました。すると、夫リョウさんは、なにも言わずに、サトコさんの髪の毛を、左右両方の手のひらで、何度も何度も、撫で始めました。

少々、おかしな言い方なんですが、この時、リョウさんの手は、彼そのものになっている、というか、その手に心のすべてが宿っている、というのでしょうか。リョウさんの両手から、愛する人に深く触れている「熱」を感じました。

そう、それは、まぎれもなく、ひとつの愛の営みですよね。父性とか母性とか、家族愛とか、そういう言葉だけでは説明できないような、やっぱり、愛の営みと言うしかないような、そんな気がするんです。私がそばにいることさえ、場違いなような、場違いではなかったのは、生まれたばかりの彼女だけだったかもしれません。

サトコさんは、写真を見るまで、リョウさんがサトコさんの髪の毛を撫でていたことにほんの少しも気がつかなかった、と話してくれました。

気がつく必要がないほどの、繊細な温もりがあるのなら、父と母になることは、まっさらな、愛の営みの始まりかもしれません。

「あなたを愛する方法は、思いのほか、自由なんです」
と小さな彼女がそっと教えてくれているような…。

そのような、この繊細な時間を書き残そうとすると、どこかで誰かから聞いた、お馴染みの愛の形容詞、たとえばエロティックだとかプラトニックだとか、そのイメージによってひかれた境界線は、いきなり古ぼけて、キューッと縮んでしまって、点になって、ついにまっさらになって、なんの色も持たずに、まざりあいながら、のびやかに空中を漂っていくのでしょう。

それが、あの時の気配でした。






立ち会わせてくださって、ありがとうございます。
Special thanks to サトコさん まんまる助産院
#お産の写真は、会報・お話し会等でご覧いただけます。
有砂山 (ゆささん):

産むことの味わいについて、
私感を写真と文で綴る試み「自分も生まれる旅」を行う。
共著『お産を楽しむ本 どこで産む人でも知っておきたい野性のみがき方』(2014 農文協)。
一児の母。

そもそも生まれるとか死ぬということは
あけっぴろげなものじゃなく、
それぞれの日常の中で、
その気配をしみじみと抱きしめるようなものだと
思うんですけれど、
でも、いつのまにか
生は死よりも遠くなってしまったような気がするんです。
もし、本当に遠く遠くなって、
なんにも触れることができなくなってしまったら…、
と思うと無性にさびしくなるのは、
母の子宮が
すべての人の地上で最初のふるさとだからでしょうか。

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