自分も生まれる旅 vol.7 産むための音

#2016あき号No.276

vol.7

産むための音

   [文・写真] 有砂山



もう、いつ、おなかの子どもが生まれてもおかしくはない、そんな日も、人の心は思いのほか、日常のあれこれにざわめくことがあるわけです。

そのようなわけだからでしょうか。助産師まりこさんが作った「お産で入院する時に必要なもの」というリストの一番下には、「好みの音楽。CDなど」と書いてあり、産む人は、時にお気に入りの音楽を聴きながら、心のノイズを消していくのですね。

ところが、ところが。なくてはならなかったはずの音楽が途絶えたことさえ気にならない時間が来たり、あるいは、どんなに物静かな曲調であったとしても、どうにもこうにも、しっくりこない時間が、いつしかやってくるのです。

まりこさんによれば。

「CDじゃなく、楽器を持ち込んで、たとえば、旦那さまが心を込めてジャンベを奏でることもあるのよ。でも、お気の毒なことに、最後は、止めて!って言われてしまう。旦那さまにはちょっと申し訳ないけれど、でもね、それでいいの。そうして生まれるのよ」

産む人は、最後に音楽と別れるのです。いえ、歩きながら、横たわりながら、四つん這いになりながら、産む人が、音になるのです。

音? それは結局のところ、人の発するエネルギーについての比喩ではないのですか? と言われてしまったなら、反論の余地はないのですが、つまり、録音して残る音ではなく、つまり、産む人のいきむ声や、その体に触れた時に生じる摩擦の音ではないのですが…。

されど、あの強さと静けさが、音、ではないのなら、なんというものなのでしょうか。

部屋のドアが開いているというのに、なぜだか、その部屋に入れないほどに音を強くひとつ響かせて、その音が消え入るまで静かに待つ。それを、産む人の気の向くままに繰り返しているような。

産もうとしている人には無闇に近づけない、そんな気持ちになるのは、きっと、この音のためです。

この音をさえぎってはいけない。
 
もし、この音が響いてきたなら、どうか、そっと聴いてください。
なににも邪魔されずに産むための、生きものの音、ですから。

ところで…、お気に入りの音楽を聴くこともなく、最初から「音になっている人」がいるのは、今どきの私たちにも野性が残されているからかもしれません。



立ち会わせてくださって、ありがとうございます。
Special thanks to まんまる助産院
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有砂山 (ゆささん):

産むことの味わいについて、
私感を写真と文で綴る試み「自分も生まれる旅」を行う。
共著『お産を楽しむ本 どこで産む人でも知っておきたい野性のみがき方』(2014 農文協)。
一児の母。

そもそも生まれるとか死ぬということは
あけっぴろげなものじゃなく、
それぞれの日常の中で、
その気配をしみじみと抱きしめるようなものだと
思うんですけれど、
でも、いつのまにか
生は死よりも遠くなってしまったような気がするんです。
もし、本当に遠く遠くなって、
なんにも触れることができなくなってしまったら…、
と思うと無性にさびしくなるのは、
母の子宮が
すべての人の地上で最初のふるさとだからでしょうか。

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