自分も生まれる旅 vol.8 恋人でもないのに

#2016ふゆ号 No.277 

vol.8

恋人でもないのに

  [文・写真] 有砂山






心をさらけだすことのできる人に見守られ、なにもかも忘れ、オマタを広げて産む。
それは、まぎれもなくひとつの幸せです。

たとえば、私が妊婦さんだった頃を思い出してみれば…。

診察室で足に触れてもらううちに、助産師まりこさんの前で、家族のこと、仕事のこと、健康のこと、愛のこと、人生のあれやこれや、もちろん、なにもかもではないけれど、それでも、日々の、悲喜こもごもの、感情のかけらをさらけだしてしまえたのは、なぜだったんでしょう。

そうして、カルテには残らない、残せない話をするうちに、臨月の、最後の健診が終わる頃には、まりこさんは恋人でもないのに、安心してオマタをみせられる人になっていたのでした。

あの…、今どきは、とても遠くの、誰かの話に聞こえるかもしれません。でも。 

その繊細さは、恋人たちの味わう時間だけではなく、子どもを宿した人の味わう時間の中にも残されているのではなかろうか。

と、伝えさせてください。


Special thanks to まんまる助産院
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有砂山 (ゆささん):

産むことの味わいについて、
私感を写真と文で綴る試み「自分も生まれる旅」を行う。
共著『お産を楽しむ本 どこで産む人でも知っておきたい野性のみがき方』(2014 農文協)。
一児の母。

そもそも生まれるとか死ぬということは
あけっぴろげなものじゃなく、
それぞれの日常の中で、
その気配をしみじみと抱きしめるようなものだと
思うんですけれど、
でも、いつのまにか
生は死よりも遠くなってしまったような気がするんです。
もし、本当に遠く遠くなって、
なんにも触れることができなくなってしまったら…、
と思うと無性にさびしくなるのは、
母の子宮が
すべての人の地上で最初のふるさとだからでしょうか。

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